三池住国天作 太刀(白鞘)
商品番号 | |||
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太刀 | |||
表 銘 | 三池住国天作之 | 元 幅 | |
裏 銘 | 平成二十四年一月吉日 | 元 重 | |
刃 長 | 2尺5寸3分5厘(76.8cm) | 先 幅 | |
反 り | 2.9cm | 先 重 | |
登 録 | 福岡県教育委員会 平成24年3月 | 目釘穴 | 1個 |
時 代 | 現代 | ハバキ | 金着せ二重ハバキ |
鑑定書 | 平成24年新作名刀展 優秀賞受賞作品 | ||
価 格 | 参考品 |
平安時代末期筑後国(現在の福岡県南部)の刀工、典太、伝太と称す。法名元真三池(現在の福岡県大牟田市)に住んでいたため三池典太光世と呼ばれています。作風は身幅が広く豪壮、切れ味が鋭く多くの文献に残されています。大典太:足利将軍の重宝で天下五剣の一つ、また徳川家康の愛刀これは無銘だが光世の作と伝えられています、1派は三池に住んでいたので三池派といわれています。大牟田市歴木には三池典太の鍛冶場があったといわれる場所があります。炉があった所だけはいくら寒い日でも霜がおりないという言い伝えがあります。ほかに国宝太刀銘光世作、加賀百万石前田家第一等の重宝として伝えられた名物典太などがあります。その流れをくむといわれている刀匠が小宮四郎国光刀匠さんです。 そして現代大牟田市倉永の天木山のふもとに現在5人の刀匠が住まわれています、一つの市に5人もの刀匠が住まわれているのは岐阜県関市、岡山県岡山市、東京都葛飾区に次ぐ多さです、5人のお名前は小宮国冶さん、小宮陽気光さん、小宮安気光さん、小宮早気光さん、小宮冶気さんです、、国冶さんがお父さんで3人が国冶さんの息子さんで、最後の冶気(刀工銘 国天)さんは国冶刀匠のお孫さんです。常日頃から良い日本刀を作るために日々研究を重ねられ技を磨いておられます、全国的な展覧会で数々の賞をとられるなど活躍されています。更に日本刀のみでなく包丁、鉈や鎌などの農具類も造られていてさながら三池典太の世界が現代に出現したような感じです。なぜなら三池典太も鉈が大変良く切れたと言い伝えが残っているからです。 国天刀匠は平成11年に河内国平刀匠に弟子入りし平成16年に独立平成18年、新作名刀展で努力賞、新人賞などを受賞されています。その後努力賞2回受賞されています。又高見国一刀匠や清田国悦刀匠は兄弟子になります。国平(現国助)一門だけに上手です、重花丁子に挑戦されています。 刃紋は重花丁子です..国天さんは独立後には新人賞を受賞その後努力賞2回、23年努力賞、24年には優秀賞受賞されました。その優秀賞受賞作品です。刃紋は重花丁子の見事な作品です。今年平成25年新作名刀展において、今回また努力賞を受賞されました。