相州住綱広 刀(拵付)
商品番号 | 001-002-109 | ||
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刀 末古刀 上作 | |||
表 銘 | 相州住綱広 刀(拵付) | 元 幅 | 30.5mm |
裏 銘 | なし | 元 重 | 8.0mm |
刃 長 | 2尺3寸4分5厘 | 先 幅 | 23.5mm |
反 り | 4分5厘 | 先 重 | 6.0mm |
登 録 | 秋田県文化財保護委員会 | 目釘穴 | 1個 |
時 代 | 安土桃山時代 | ハバキ | 金着せハバキ |
鑑定書 | 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定証付 | ||
価 格 | 価格230万円 |
室町時代後期に相州鍛冶の刀工に綱広がいます、初代綱広は広正の子孫で初めは広正でしたが、北条氏綱に招かれ相模国小田原に移り綱の一字を賜って綱広と改名したとつたえられています。綱広の銘は初代天文ころから二代、三代、四代とその名跡は新々刀期まで続いています。この刀は銘切から三代綱広ではと思われます、末相州鍛冶を代表する綱広は末古刀上作に列しています。正宗(正和)-正広(貞冶)-正弘(応永)-正広(文明)-綱広(天文)-綱広(天正)4代目の正広が綱広とあらため、北条氏の御用鍛冶と成り 小田原で鍛刀しています。3代綱広は山村宗右衛門尉と称し相模国鎌倉扇ケ谷に住しのち陸奥国津軽藩主、津軽為住の招きに応じ、津軽に移り大小300余刀を鍛え慶長11年業を終えて帰国しました。銘文に「津軽主為信相州綱広慶長十乙巳八月吉日三百之内」「津軽主為信相州綱広呼下作」「慶長十一丙午年八月吉日三百腰の内」などが遺されています。この刀は昭和26年4月26日秋田県で登録されています。縁、頭に家紋があり何家の家紋か判りませんが名のある高家の持ち物であったと思います。さど身分の高い武士の差し料であったことでしょう、刀身は新しく磨ぎ直しましたので美しく地鉄鍛えは素晴らしい地模様が見受けられます。