栗原筑前守信秀(白鞘) 
001-068
刀                新々刀 上々作
表 銘栗原筑前守信秀 元 幅34mm
裏 銘慶応三年五月 元 重7mm
刃 長74.3cm 先 幅24.5mm
反 り2.1cm 先 重5mm
登 録大阪府教育委員会 昭和四拾弐年九月 目釘穴1個
江戸時代
金着一重ハバキ


参考品
信秀は文化12年(1815)越後に生まれ父は栗原姓で母は池氏の出身です。その後幕末の刀工当時四谷正宗の異名をとる源清麿の門人になりましたが入門の年齢は嘉永元年(1848)と当時の人にとっては大変遅いものでした。それ以前は京都で鏡師をしていたようです。師の清麿とは2歳しか違わず大変苦労したとおもいます。嘉永5年(1865)に独立し、伊豆浦賀、江戸上野で作刀、慶応元年(1865)京都に入り、孝明天皇から筑前守を受領しました。信秀は清麿の高弟として作風を継承しています。刀身に竜や不動、梅枝等の彫を入れ(自身彫り)したため有名になりました。栗原謙司信秀、栗原筑前守信秀、筑前守平朝臣信秀、と銘をきります。明治になり、天皇の御番鍛冶に任命され、明治5年(1872)天皇に佩刀を献上し、同7年には政府の命により建立された、招魂社(今の靖国神社)の鏡三面を打ち、最高の名誉を受けました。そして故郷三条に帰り、三条八幡宮の御神鏡や弥彦神社の御神鏡等が代表作として残っています。






















   



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